日米国民は今でもマッカーサー証言を知らない

マッカーサー証言で、大事なのは、上院の軍事外交委員会における証言です。渡辺昇一氏の「日本がつくる新たな世界秩序」の文言を引用すれば、下記の通りです。(p96)

マッカーサーが主催したともいうべき東京裁判の最大のモチーフは「大東亜戦争は侵略戦争であった」という規定にありました。ところがそのマッカーサーが、権威ある米上院で「日本の戦争は自衛戦争だった」と証言したのです。この証言は、東京裁判で大東亜戦争の開戦理由について東条英機元首相が述べた証言とまったく趣旨が同じです。

さらに、長くなりますが、重要なので、渡辺昇一氏の文言を引用すれば、下記の通りです。(p96・p97)

要するに「東京裁判史観(自虐史観)」は、ナンセンスだということです。

が 東京裁判というのは連合国がマッカーサーに全てを委任した裁判でした。そのマッカーサーは裁判を行うにあたっては国際法によらずに「マッカーサー・チャーター」によっています。「マッカーサー・チャーター」というのは、マッカーサーが GHQ 参謀部に作らせた東京裁判所条例の異名ですから、東京裁判の検証はマッカーサーそのものだったということができます。

 その当のご本人が米上院の軍事外交合同委員会という公的ななかでも最も公的な場で「日本軍が戦争に飛び込んでいったのは自衛のためであった」と証言したのです。これでは誰がどう考えても東京裁判はご破算です。東京裁判を主催した「法源」とも言うべきマッカーサーが「当時の日本は自衛のために戦ったのである」と証明したわけですから、東京裁判は全て「パー」になったと言っても言い過ぎではないでしょう。

 これが歴史の真実なのです。

 

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マッカーサー証言

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1951年(昭和26年)5月3日、ワシントンD.C.の上院の軍事外交合同委員会におけるマッカーサー証言

 日本は8000万に近い膨大な人口を抱え、それが四つの島の中にひしめいているのだということを理解していただかなくてはなりません。その半分近くが農業人口で、あとの半分が工業生産に従事していました。

 潜在的に、日本の要する労働力は量的にも質的にも、私がこれまでに接したいずれにも劣らぬ優秀なものです。歴史上のどの時点においてか、日本の労働者は人間は怠けている時よりも、働き、生産している時の方がより幸福なのだということ、つまり労働の尊厳と呼んで良いようなものを発見していたのです。

 これほど巨大な労働能力を持っているということは、彼らには何か働くための材料が必要だということを意味します。彼らは工場を建設し、労働力を有していました。しかし彼らは手を加えるべき原料を得ることができませんでした。

 日本には絹産業以外には、固有の産物はほとんど何もないのです。彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫が無い、ゴムがない、その他実に多くの原料が欠如している。そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在していたのです。

 もしこれらの原料の供給を断ち切られたら、1000万から1200万の失業者が発生するであろうことを彼らは恐れていました。したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです。

(小堀敬一郎編「日本の弁明」)

 

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1946年(昭和21年)5月3日から1948年(昭和23年)の東京裁判における東条英機の証言

「日本に対する米英蘭の圧迫はますます荷重せられ、日米交渉において局面打開不可能となり、日本はやむを得ず自存自衛のため武力を以て包囲陣を脱出するに至りました。」(「東條英機歴史の証言」渡辺昇一著)

 

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1951年(昭和26年)4月19日、ワシントンD.C.の上下院の合同会議におけるマッカーサー離任演説より(Wikipedxiaより引用

「(前略)戦後、日本国民は、近代史に記録された中では、最も大きな改革を体験してきました。見事な意志と熱心な学習意欲、そして驚くべき理解力によって、日本人は、戦後の焼け跡の中から立ち上がって、個人の自由と人間の尊厳の優位性に献身する殿堂を日本に打ち立てました。そして、その後の過程で、政治道徳、経済活動の自由、社会正義の推進を誓う、真に国民を代表する政府が作られました。

今や日本は、政治的にも、経済的にも、そして社会的にも、地球上の多くの自由な国々と肩を並べています。世界の信頼を裏切るようなことは2度とないでしょう。最近の戦争、社会不安、混乱などに取り巻かれながらも、これに対処し、前進する歩みをほんの少しも緩めることなく、共産主義を国内で食い止めた際の見事な態度は、日本がアジアの趨勢に非常に有益な影響を及ぼすことが期待できることを立証しています。私は占領軍の4個師団をすべて朝鮮半島の戦場に送りましたが、その結果、日本に生じる力の空白の影響について、何のためらいもありませんでした。結果はまさに、私が確信していた通りでした。日本ほど穏やかで秩序正しく、勤勉な国を私は知りません。また、人類の進歩に対して将来、積極的に貢献することがこれほど大きく期待できる国もほかに知りません。