靖国参拝論
作成者:Web Master 作成日:土, 09/25/2021 - 06:52
国家の命令で戦争に参加し戦死した国民、犠牲になった国民を祀る靖国神社に、参拝し、日本国民の感謝の心を表すのは、日本国民にとっては当然のことです。
どんな経歴のある人でも亡くなった後は埋葬し、その人を愛した人・信じた人・尊敬した人が墓参することに反対する日本国民はほとんどいないと思います。「日本国民は、人の善悪が必ずしも法の裁きや時の権力で決められるものではないことを歴史の中で感得しています。日本人は、「言葉の歴史」以外に「姿の歴史」を理解しています。日本には反逆者や悪人と言われた人の墓がたくさんあります。多くの武将、大泥棒の石川五右衛門、今では反社の清水次郎長などなど。「これらの人を墓参りする姿」を見て、多くの人は、亡くなった人には彼らの理屈があり、愛する人もあったし、良いこともしたことを悟ります。それが感得するということです。勉強はしない人でも「墓参の姿」で人間と歴史の関係を理解するのです。たとえ時の為政者の裁きで亡くなった人でも、埋葬し、その非難の時代をが過ぎれば、どんな悪人の墓でも墓参はされるのです。
反日教育国の中国にも三国志時代の英雄の墓・孔子の墓以外に、歴史的人物の墓、国民に愛された人物の墓がたくさんあるのではないでしょうか?「時の権力の正当性は、歴史を経なければ、実証されません。」靖国参拝を批判するのは、歴史の洗礼を受けていない独善的な国の「内政干渉」以外の何物でもありません。国家の命令で参戦し、亡くなった人を弔い墓参するのは、世界のどんな民族にも適う共通の道義です。それは、2600年の男系万世一系の皇統の歴史を基本とする日本の歴史が証明しています。
共産主義者やグローバリストが、恐れ、日本を警戒するのは、自分たちの理屈にはない「2600年の万世一系の皇統を引き継ぐ日本の歴史の証明力」そのものです。
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