「かもしれない」は「そうだと思って」 対応すべし

以下のような仮説があります。「かもしれない」は「そうだと思って」 対応するのが無難だと思います。

中共コロナウィルスは、生物兵器かもしれない
DSは、利益源を武器とワクチン、エネルギーの3本柱にしたのかもしれない

中国共産党は台湾を占領するつもりかもしれない
日本は中国やロシアから侵略されるかもしれない
米中戦争が起こるかもしれない
中国は食糧危機に襲われるかもしれない
中国の借金経済は破綻するかもしれない
米国のドルは暴落するかもしれない
GHQ憲法は廃棄し、日本人の誰もが納得できる新憲法を作るのが正解かもしれない
反日教育をしている国に投資する企業は、売国企業かもしれない
反日教育をしている国と親交を結んでいる人は、売国奴かもしれない
日本のマスメディア(新聞・テレビ)は、中国共産党に買収されているかもしれない
日本の政治家には、中国共産党・DSに買収・脅迫されている売国奴がいるかもしれない
日本の行政官には、中国共産党・DSに買収・脅迫されている売国奴がいるかもしれない
日本の裁判官には、中国共産党・DSに買収・脅迫されている売国奴がいるかもしれない
日本の経済界には、中国共産党・DSに買収・脅迫されている売国奴がいるかもしれない
日本の教育界には、中国共産党・DSに買収・脅迫されている売国奴がいるかもしれない

たとえば、「中共コロナウィルスは、生物兵器かもしれない」は、「中共コロナウィルスは、生物兵器である」とみなして、対策を練ると、所轄官庁は、厚生労働省ではなく「防衛省」になり、中共コロナウィルスを一貫して研究し、そのワクチン開発さえ可能になりますし、水際対策も現在のような間抜けな体制から、ピリリと光る体制を構築できると思います。